「書く」コミュニケーションの世界を広げたい!レタコミュ!を運営するKaku Communications(カクコミュニケーションズ)が目指しているもの。

こんにちは、レタコミュ!18PLUSです。
本日は、レタコミュ!を運営しているKaku Communicationsが目指しているものについてお話したいと思います。



コミュニケーションとは何なのか

書くことも立派な「コミュニケーション」?!

Kaku Communicationsは、もちろんその名前の通り「書く」ことのコミュニケーションに重きを置いたサービスを提供したいと考え、「レタコミュ!」及び「レタコミュ!18PLUS」をスタートさせました。

そもそもコミュニケーションとは、

社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる
[補説]「コミュニケーション」は、情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意でも使われる。

デジタル大辞泉より

とあるように、言語・文字・身振りで「意思や思い」を伝達して「疎通」(意思疎通)していることを指します。
つまり「話す」だけでなく「書く」ことでも「意思疎通」ができたらそれは立派な「コミュニケーション」になるということです。


「コミュニケーション能力」があるとは?

しかし、一般的には「話す」ことが「コミュニケーション」の根幹であり、人見知り等で人とうまく話せない人は「コミュ障」などと言ってどうしても生きづらい世の中になってしまっているような気がしています。「意思疎通」ができているか、ということを「コミュニケーション」の基本として考えている人は少ないのではないでしょうか。

健康な人で、誰とも話せない、書いて伝えることもできないという人は稀だと思います。人見知りで大勢の人と話すことができなくても、特定の人とだけでも「意思疎通」ができるのであれば、「コミュ力が高い」わけではありませんが「コミュニケーション能力」はあるのです。

ですが、私たちはどうしても、明るくて活発な人であれば「コミュ力高そう」と思ってみてしまいます。でも、もしその人と話してみて、自分のことばかり話し、そしてこちらの話を全然聞かないので思いが伝わらず「意思疎通」がとれなければ、どんなに明るくても決して「コミュ力が高い」人にはならないのです。


「コミュ力が高い」人とは?

「コミュ力が高い」人とは、まず自分の意見を正確に伝えることができ、そして相手の意見や考えもきちんと汲み取ることができる。加えて、自分の意見を決して押し付けず、また相手の意見や考えを引き出すことがうまい人、といったところでしょうか。
単純に「意思疎通」するだけでなく、相手への思いやりへ気遣いを忘れない対応ができる人が「コミュ力が高い」といえます。
しかし…読んでるだけで、そんな人いたら眩しすぎます!今はコミュ力を向上させるために様々な方法が提唱されていますが、それ以前に天賦の才能というか、生まれ持った性格というか、そういうものが大きいような気がします。(ええ~!)。

そもそも「話す」ということは、その技術だけでなく、対人で行うため「メンタル」の変革が必要になってきます。人見知りや恥ずかしがりやでは、その「メンタル」から変えていかなければなりません。病院や専門機関へ行けば克服する方法があるのかもしれませんが、いや、そこまでして変えたいわけじゃないんだけど・・・という人が大多数なのではないでしょうか。
では、同じコミュニケーションである「書く」ではどうなのでしょうか。


「書く」ことで「コミュニケーション」は成り立つ?


「書く」コミュニケーションについて考えていくために、「話す」との違いから見ていきたいと思います。


「書く」と「話す」の違い①:「自分のペース」。

「話す」ことは、対人で行うため「メンタル」面が大きいという話を前述しましたが、一方「書く」は、人前で行わないといけない状況は殆どなく、自分のペースで行うことができます。人前だと緊張したり、恥ずかしかったりする人でも、「書く」ことなら落ち着いてできるのではないでしょうか。「話す」ことと違って「メンタル」面を変える必要がないのも、取り組みやすいポイントです。


「書く」と「話す」の違い②:「直せる」。

そして「書く」コミュニケーションにおいて、文章の上手下手は関係ありません。「話す」コミュニケーションにおいても上手下手は関係ありませんが、下手だと思いこんでいるとますます話せなくなってスムーズにコミュニケーションをとるのに時間がかかってしまいます。
一方、文章への苦手意識がある場合はというと、①でも述べたように自分のペースで行えることも大きいですが、何より文章は書き「直せる」ことができます。「ぶっつけ本番」の話すと違い、相手に伝える前にいくらでも修正することができます。
それは、話すとは大きな違いです。一度口から出た言葉を取り消すことは難しいですが、自分の書いた文章を読み直し、誤りやおかしな部分があれば「直す」ことができる。それが「話す」との違いの一つです。

「書く」と「話す」の違い③:「時間」。

そして最後は、「時間」です。「話す」と「書く」では時間の流れが全く異なります。自分の投げた言葉がすぐに帰ってくる「話す」と、返事に時間がかかる「書く」。そしてそのタイムラグを埋めるかのように登場したのがLINE等のメッセージアプリ。でもそれは殆ど「話す」感覚に近く、実際に「書く」ものとは全く異なります。
LINEより歴史の古いメールは比較的「書く」に近いですが、大きな違いは「手書き」かどうかです。この「手書き」かどうかについてはまた別の回で書きたいなあと思うのですが、「コミュニケーション」ということに重きを置いて考えると、「書く」ことにおいては「手書き」であることが重要になってきます。
「手書き」の文字を送る方法にFAXやデータや写真にして伝えたりと方法は色々ありますが、実際に書いた紙を送る「手紙」で「手書き」だからこそ伝わることは大いにあります。それは目にみえるものではないので、立証することはとても難しいのですが、「手書き」の「手紙」を送り合うことで初めて「書く」コミュニケーションが成立しうるからです。

少し話が逸れましたが、その「手紙」はどうしても時間がかかりますですが、その決してリアルタイムではない、届くのに時間がかかる、「書く」のに時間がかかる、相手の既読を気にしない、返事をゆっくりと待つ、そういったかかる時間がすべて意味を持ってきます。「時間」のかかるコミュニケーションですが、その「時間」があるからこそそだつ「コミュニケーション」があります。それは、とても筆舌しがたく実際にやってみないと分からない感覚です。


「書く」ことで繋がる世界を作りたい。

ですが、前述したように、「コミュニケーション」は「意思疎通」です。自分の思いを伝えられる文章が書けたとしても、相手からもその思いの応えてくれるような文章が返ってこないと「コミュニケーション」にはなりません。
そもそも、「書く」ことで「コミュニケーション」したいという思いがないと、どんなにスキルがあっても「コミュニケーション」は成立しません。

「話す」ことでコミュニケーションしたいという人と、「書く」ことでコミュニケーションしたいという人が出会っても、ミスマッチとなり平行線のままです。そこで「書く」ことでコミュニケーションをしたい人たち同士が集まる世界を作れば、コミュニケーションは自然と活発になり、ストレスなく関係を築くことができるのではないでしょうか。そう考えて始めたのが文通コミュニティです。


人間だけにできる「書く」という世界

ですが、「話す」ことでコミュニケーションしたい人でも、いつもとは違う「書く」ことでコミュニケーションしてみると、違う発見があり、新しい世界がきっと広がります。「書く」コミュニケーションは人間のみが備わった能力の一つです。その「書く」コミュニケーションをもっと気軽に、楽しめる世界を作っていきたい。「書く」ことが得意な人も不得意な人も、「書く」ことができるのならば、「書く」コミュニケーションの世界で新しい自分を見出してもらいたい、新しい他人との関係性を築いてもらいたい。Kaku Communicationsはそんな「書く」コミュニケーションの魅力を伝え、そしてより多くの人に「書く」ことの楽しさを知ってもらい、「書く」コミュニケーションの世界を広げていくために活動していきたい、そう考えています。

文通以外の「書く」コミュニケーションの世界を求めて

Kaku Communicationsは、現在行っている文通サービスの他に、「書く」ことでコミュニケーションが取れる企画を現在も検討中です。「書く」ことは楽しく、そしてよりよいコミュニケーションツールである!そうKaku Communicationsは信じてこれからも「書く」世界の発展のために貢献していく所存です。

ありがとうございました。